さよならオーバーグラウンド

愛なき道を行け。

長く深い沈黙は何を語りかけてきたか、あるいはツイッター上のわたしの消滅。

みなさんこんにちは。お久しぶりです。

前回のブログの更新が1月25日で止まっていたままだったのですが、ブログを書かなかった今日までのその間何をしていたのか書きたいと思います。

この3ヶ月はかなり鬱っぽかったので、あまりなにか活動的なことはできませんでした。本もほとんど読めなかった。

体調は元気でしたが、心はからっぽというか、なにも書くに値するようなことはしておらず、また書く気力もなかった。

考えすぎなのでしょうが、過去に起きたできごとを反芻して「あのときこうすればよかったんだ」と、納得するというかも心のもやもやが氷解するというかそのような思考をするばかりの日々でした。それは人から見ればうじうじ後悔しているように見えるかもしれないけれど、わたしにとっては見えない我慢を解く必要な時間だったのです。

加えて、ツイッターもやめました。@synr_emtn_というアカウントを持っていたのですが、わたしにはツイッターをするのは難しかったです。自分から発信するほどの意見も意欲などもこれといってなく、情報を受信するにはあまりに膨大すぎました。フォローしてる人が偏ってはいけないと思い、いろいろな人をフォローしていましたがどこかで我慢していたのだと思います。ただ不快な思いを胸の中でくすぶらせるだけということがままありました。仲良くしていただいた方たちには大変申し訳なかったのですが、「ツイッターやめる」とツイートすることの滑稽さというかわけわからなさに耐えられなかったのと、たとえツイートしたところで反応がなかったら落ち込むのが明らかだったのでやめました。加えて、せっかく仲良くしていた人たちの心をそうやってもてあそぶのは偲びない。インターネットの難しさですね。画面に映る文字のつながりとしての存在に過ぎなかったわたしは、誰かが気にとめるにはあまりに影が薄く脆弱でした。なので、これからはこのブログを更新することがたまにあるくらいだと思います。ツイッターくらい自分の気持ちを飲み込まなくてもよかったんじゃないかと思いもしたのだけれど、どこか遠くで生身の人が文字をカタカタ打っていて、それがわたしの画面に届いてると思うと、やはり相手がいることだから見えない顔をうかがうようになって気疲れしてしまいました。結局ツイッター上のわたしは一年もたずに死んだ。

 

ブログを今書いているくらいだから、なにかをリスタートしたい気分でいるのかもしれないけれど、きっと長くは続かないことはわかってる。これはおそらく神経症なまでに完璧主義だからだと思う。このブログだって、元旦頃から毎日更新し続けて、結局振り回されて一ヶ月弱で終わってしまった。わたしは今、手を抜く必要がある。中途半端でいいじゃない。疲れない生き方を学ぶ必要があるのだ。話はそれからだ。

 

Ending Song

ASIAN KUNG-FU GENERATION転がる岩、君に朝が降る