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さよならオーバーグラウンド

愛なき道を行け。

名づけえぬものたちの使うWi-Fiは、よく晴れた春の風に揺られる。

 

3月の終わりに、父から「4月になるけれどおまえこれからどうするの?」と訊かれた。身の振り方を考えろよということだった。確かに3月、4月は一般的に節目の月だけれど、わたしには違うんじゃないかなと思えた。

 

一年前の3月にわたしは大学を卒業した。わたしはうつ病で一年留年したので5年かかっての卒業だった。同級生たちはみんな仕事ですでに全国に行ってしまっていて、わたしは後輩たちとともに卒業証書を受け取った。日差しの強く当たる学部棟の教室でのそのときのゼミの後輩の言葉が忘れられない。彼は嘲りながらわたしに「先輩は卒業したらニートですか?」と言ったのだった。わたしはそのときはとっさのことだったし、周囲の空気を読んで、ただ苦笑してみせたけれど、心のなかにもやっとするものを残した。そのもやっとしたものがなんなのか、今ならわかる。あれは激しい憤りだった。今すぐに胸ぐらをつかんでぶん殴ってやりたいという強い衝動だった。それを一年過ぎた今になって理解した。どこにぶつけることもできない怒りを抱えたが、それが未知から名前のあるものになったときに少し心は晴れた。わたしはなぜ怒りを覚えたのか。わたしはうつ病で留年した一年間、真っ暗な部屋に閉じこもってスマホの画面を見てはねむるだけの生活をした。それはちょうど大学3年の春のことだった。就活がすべて失敗した直後のことだった。その言葉を吐いた彼も、就職先が決まらないままわたしが卒業することはどこかから聞いていたらしかった。

まず、おもったのは「おまえに何がわかるんだよ」という気持ちだった。うつ病に対する理解が足りないと彼をなじるつもりはないけれど、わたしとろくに仲良くもなく、ただゼミ生同士なだけのそんな彼にわたしの何がわかるっていうのか。わたしがどれだけつらくながいうつ病の大学生活を過ごしたのか、そして働きたくても働けないこの石のようにざらついた気持ち、働く以前に生きる意欲もなにもかも根こそぎ暗闇に剥ぎ取られてしまったこの心の喪失がわかってそんな言葉を吐いているのか。わたし自身にうつ病の理解があると言いたいわけではない。わたしのうつ病のつらさはわたしだけのものだし、誰かの感じるつらさは本人にしかわからないものだ。わたしの場合、彼の「先輩は卒業したらニートですか?」には、明らかに侮蔑のニュアンスが込められていると感じられたのだった。それはいろんな意味に解釈できるし考え始めたらきりがないけど(例えば「先輩は働かなくてラクですねw」とかね)、一年が過ぎた今、「ああ、わたしはあのとき怒ってよかったんだ」と思った。そして、気持ちがいくぶんかるくなった。胸ぐらをつかんで殴ったってよかった。それくらいわたしはバカにされ、傷ついたのだ。うつ病で感受性も感情も長らく湧かなかったのでわからなかったけれど、あれはひどい言葉だったのだ。それが今になってようやくわかった。

今はもう彼とは連絡をとっていない。彼はおろか誰とも連絡をとっていない。卒業したあとわたしは連絡先をすべて変えてしまった。自分はそのゼミの友人たちからもう必要とされていないと思ったからだった。ゼミ生の頃はわたしは幹事だったけれど、卒業した今、わたしの友人たちはもうどこにもいなかった。それは、自分自身が相手を傷つけて離れてしまったケースもあるし、自然消滅したというのもある。人それぞれだけど、いずれにせよわたしはもうゼミ生ではなくなり学生でさえもなくなり、もう所属先もない、どこの誰でもなくなったのだった。その彼がわたしに一方的に投げつけてきた「ニート」というレッテルを拒否したそのときに、わたしは働いておらず働く意欲もわかないけれどニートではないという道を選んだのだった。わたしは今とても孤独だけれど、「まだまだ飛んでいけるぞ」という気持ちもちょっと湧いてきたから大丈夫だろう。

 

 

Ending Song

藤原さくら「春の歌」(スピッツのカバー)