さよならオーバーグラウンド

愛なき道を行け。

「なにかがともなわなければ、それは意味をなさないのです。」

今日は、免許の更新のために朝から遠出をした。ちょうど5月が誕生月で、今年が更新期限だったのである。不幸にもクルマに乗る機会が一度もなかったが故に、幸いにも無事故だったので今年は優良扱いである。講習も一番短い30分で、更新料も一番安かった。

講習の内容は注意喚起用のショートムービーと直近の道路交通法の改正についてだった。古く使いまわされた啓蒙映像はほとんど退屈だったのだが、ある一節がとても印象に残った。

「なにかがともなわなければ、それは意味をなさないのです」。

要するに、徐行や一時停止の標識は漫然と気にするだけじゃなくて、なぜそこにその標識がつけられているのか、その必然性について考えてほしいということだった。

わたしにとっては、文脈以上に、その言葉は含蓄のある言葉に聞こえた。

「なにかがともなわなければ、それは意味をなさないのです。」

それとはいったいなんだろう。

なにかがともなわなければそれはその存在自体を明らかにすることができない。

この場合は、「危機意識がともなわなければ、標識は意味をなさないのです」ということだけれど、その言葉は直裁的にわたしに訴えかけてくるようであった。

「なにかがともなわなければ、それは意味をなさないのです。」

行動がともなわなければ、思想は意味をなさないのです。

思想がともなわなければ、行動は意味をなさないのです。

体温がともなわなければ、愛撫は意味をなさないのです。

言葉がともなわなければ、感情は意味をなさないのです。

有責性がともなわなければ、神は意味をなさないのです。

………

 

わたしが冷房のききすぎた講習室の待ち時間にレヴィナスの研究書を読んでいたからかもしれない。わたしの耳にはその言葉がべっとりと引っかかり、講習が終わっても耳から離れないのであった。レヴィナスによる免許講習映像解読はこうして兆しを芽吹いたのである。ぜひみなさんも免許更新の際はレヴィナスを読んでみるといいです。

 

帰り道、中学時代の親友とほぼ10年ぶりに偶然、道ばたで出会った。暑い昼下がりであった。

デジャヴ。

お互いに近況報告をした。そして、LINEを交換して別れた。彼には今や仕事と愛する人があった。尊敬した。10年の時間はかくも隔たっている。わたしには仕事も愛する人もないままであった。そこには、10年分をしっかりと積み重ねた彼がおり、反対には10年を経てもなお大人になりきれないわたしがいた。25歳の誕生日を今月迎えたわたしは、前より体調が良くなり、わずかながら本も読めるようになり、いささかの成長を感じていた。体感としては20歳という成人のボーダーにようやく乗った気でいた。しかし、空は突き抜けるように透けて、海はどこまでも黒々と深い。そりゃそうですよね。彼には彼だけの戦場があり、わたしにはわたしだけの進むべき荒野がある。

 

そういえば、免許更新に先立って髪を短くした。肩まで合った髪をバッサリと切って、顔の輪郭が出るくらい短くした。免許証に四角く浮き出たわたしの写真はどこをどう見てもだんだん父に似てきつつあるのであった。

 

 

Ending Song

サカナクション「目が明く藍色